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こちらはおなじみクロヒョウさん
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世界に
はライオンやトラ、ヒョウを初めチーター、ヤ
マネコなど数多くのネコ科の動物が住んでいて、その多くがそれぞ
れの種に特徴的な
美しい模様を
持っています。その中でもとくに有名なのがトラとヒョウが持つ
トラ柄と
ヒョウ柄で洋服など、色々なデ
ザインに用いられていま
す。
ですが自然界にはネコ科の動物の中で同じ種類であるのにもかかわらず、ときどき
我々がよく知っているものとは全く異なる模様を持った個体が産まれてきます。例えばト
ラには
「ホワイトタイガー」とよばれる、本来黄色い部分が白くなった
ものがいて、サーカスなどを通して大変有名になっています。
そしておそらくそれ以上にでよく知られているのが、右の写真の
クロヒョウさんで、ヒョウに特
徴的な黄色地に黒い斑点のある模様ではなく全身真っ黒な毛でお
おわれています。実は
このよう
な黒い毛皮を持った個体が現れるのはヒョウだけでなく、ジャガーなどでも見
られ、ライオンやサーバルなどでもごくまれにその
ような個体が現れることが確認されています。(そういえばおなじみのネコにも
黒いネコが普通に見ら
れ、
某超有名運送会社さん
のシンボルキャラクターにまで
なっちゃってますねぇ。)
そんな中世界の長い歴史の中で様々な目撃談があるものの、現在まで未だにその存在が明らかになっていないのが黒い毛皮をしたトラ、
「クロトラ」です。全身
真っ黒な毛をしたトラなんて先ほど紹介したホワイトタイガーなんかとは全く正反対の存在で、あまりイメージも浮かびにくくてにわかには信じられない気がし
ます。
ですが
インドをはじめ世界各地
ではそのようなクロトラを見たという話は数多く残っており、中には実際にそのようなトラを狩って捕まえたという者まで名乗り
出ています。こうなると頭から黒いトラの存在を否定するわけにもいかなくなってきます。そこで今回はそのようなクロトラにまつわるお話を少
しご紹介したいと思いま
す。(ところでクロトラっていうと語呂が少し悪いのですが
、「ブラックタイガー」だとエビフラ
イにすると美味しそうな感じがして紛らわしいので、ここではあえてこちらを使わせてもらいました。)
黒いトラに関するもっとも古い記録はヨーロッパで産業革命がおこり、世界的な貿易が本格化した
18世紀後半にまでさかのぼります。1772年、当時イ
ギリ
スの東インド会社が進出していたインドの南西部の都市ケララにおいて画家である
ジェームス=フォルブスは
一枚の不思議な絵を描いていま
す。
そこに描かれていたのは
真っ黒な色
をしたベンガルトラで、フォルブスによるとこれは
数ヶ月前に現地の人によって仕留められた
黒いトラを絵にしたものである
というのです。彼が見たトラは
完
全に真っ黒い毛皮を持っており、若干色合いの違う二色の黒からなる縞模様があったということです。残念ながらこの絵は現在
では行方が不明になっており、このトラがどのようなものであったかを知ることはできません。ですがこの
フォルブスの見たというトラと同じように、現在のクロヒョウなども日の光に照らしてみると、下地である黒い毛皮の上にわずかに色合いの違った本来のヒョウ
のものと同じ黒い模様が浮かび上がります。従って彼
の証言によると、
このクロトラ
は他のネコ科の黒い個体に見られるものと同じ特徴を持っており、全くありえないものではないと感じられます。
そして同じころかつてイギリスのロンドンにあったロンドン塔動物園で東インドから送られてきたクロトラが飼育、展示されていたという記録が残っています。
そしてなんと当時フランスで活躍していたナポレオンのもとにインドネシア、ジャワ島にいた王様から送られることになっていたクロトラが、同じくロンドンの
動
物園で飼育されてたという話が1844年の新聞に掲載されています。しかしこれらの記録には不確かな部分もあり、
おそらくそれは黒いトラでなくクロヒョウ
の誤りだったのではないかという意見もあります。またその後もインド各地でクロトラの目撃談がいくつか報告され、インドの学術誌であるボン
ベイ自然史学会誌にも記事が投稿されています。
これらの目撃談は20世紀に入っても続き、1915年にはインド東部のアッサム地方で一匹の黒いトラが銃によって殺されました。このトラは先のフォルブス
が見たというトラと異なり、
完
全に漆黒の毛皮を持っていて、光に照らしても縞模様は浮かび上がらず均一な黒であったということです。このトラは
キャプテン
=ギュイ=ドールマンという人によってあの
Times誌に紹介されてお
り、その中で彼は「明らかにあの動物はトラであってヒョウではなかった」と述べてい
ます。
また同じTimes誌にはカーターという人も1936年10月に黒いトラに関する記事を書いています。それによるとインドの古いガイドブックには、森の中
にすむものと異なり、開けた砂地に住むトラはカモフラージュのためよく知られた縞模様ではなく、茶色一色の毛皮を持っていると書かれていたと報告されてい
ます。カーターは更に奥地の地面の色が違う地域にいるものは茶色ではなく、全身が黒っぽい色をしているのではないかとしていますが、もとにしたガイドブッ
クの筆者はこの頃には亡くなっており、これらの話がどこまで本当のものかはわかりません。
その他にも完全な黒ではないが普通のものより明らかに濃い色をした個体が見つかったり、中国でもクロトラの目撃談が報告されています。
しかし一方でクロトラの捕獲には
報
奨金がかけられていたため、これを目的として
クロヒョウをクロトラと偽って発表し、そ
れが後になってヒョウであると明ら
かにされたケースもみられました。また撃ち殺されたトラは出血して毛皮についた血液が渇くと黒い模様のように見え、それがクロトラの目撃談
につながったの
だという説もあります。
そのような感じでクロトラには数多くの目撃談がよせられているものの、いずれの場合も確固たる証拠となるものは何一つ得られませんでした。そんな中
アメリ
カのオクラホマシティ動物園であるトラの夫婦が
変わった三匹の子供を出産しま
した。
この子トラのうち
一匹は四本の
脚が明らかに普通のトラと比べて濃い色をしており、別の一頭も膝から下が同じように濃い色をしていたということです。そして
三匹目のトラは肩から前足にかけてと、腰
から後ろ足の部分がかなり濃い色の模様をしていたということです。残念ながら
これらの子トラのうち一匹目と三匹目
のものは母トラによって殺されてしまった(三匹目のものはその後ホルマリン漬けにして現在も保存されています)ということですが、残りの膝
から下の部分が
濃い色をしたものは無事大人になるまで育っていきました。
ところが
成長するにつれこのト
ラの足の模様は薄くなっていき、大人になるころには全く普通のトラと同じ模様になっていたということです。このことから残り
の2頭の子供も、もし大人になるまで育っていれば同じように普通のトラの模様に変化していたのではないかと考えられています。
そして1990年代に入ってもクロトラの目撃は各地で報告され、1992年にはインドのデリーの南にあるティスハザリとよばれる町でハンターと密輸業者か
ら
、頭と背中が黒く、そしてさ
らに胴体の横側に陰影のある黒い模様をもったトラの毛皮が押収されました。
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1993年、インドで弓と矢によって仕留め
られたクロトラのものとされる写真
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また1993年にはインドのとある少年がメスのトラに襲われ、自らの身を守るためにこれを弓矢で撃ち殺したところ、
このトラはやや小柄の体をしており、頭と
背中の下地が黒い色で、通常のトラでは白い腹の部分まで黒い縞模様が描かれていました。そしてこの
トラの姿は写真にも収められています
(左図)。
そんなわけでクロトラの目撃談はインドを初め、各地のトラの居る地域で二百年以上にわたって報告されており、そのうちにはいくつか信憑性の高い者も含まれ
ています。
一方これまで目撃されたクロトラについては上で述べた1993年に捕獲された例も含め、
小型のものが多くなっており、これに関し
ては近親交配が原因かヒョ
ウの誤認であったためであるという意見があります。同じように普通のトラと色が異なるホワイトタイガーも白い毛皮の遺伝子をひそかに持って
いるドラ同士の
間の近親交配が行われた時に出現する確率が高いと言われており、クロトラが産まれるのも同じ理由をもとにしているのかもしれません。
またクロトラの目撃はインド東部などの地域で比較的多く、ベトナムの伝説の中にも登場しますが、現在これらの地域ではトラの数がかつてと比べて大幅に減少
しています。従って
同時に黒い
毛皮の遺伝子を持った個体もどんどんいなくなっていると考えられ、このことがクロトラの存在を現在では非常にまれなものにしてしまったのだ
とい
う説もあります。
このような感じでまだまだ謎に包まれているクロトラの存在ですが、もしかしたら明日にも世界のどこかで発見される日が来るのかもしれません。
執筆:2007年10月13日
[クロ
ヒョウ画像撮影場所] 旭川市旭山動物園