群れで生活するライオンは他のネコ科の動物と比べて、自分以外の仲間とコミュニケーションをとる機会が多く、様々な方法でお互いに接します。よく行われる
のが
仲間の体に自分の頭をこす
りつけたり、また相手の体を舐めて毛づくろいをするといった行動で、彼らはあいさつ代わりにこういった行動を行います。また主に舐める場所
は頭や首の部分が多いようですが、これはそれぞれのライオンが自分でなめて手入れをすることが出来ない部分であるため、それを助ける役割もあるようです
(いわゆるかゆい所に手が届くといったやつでしょうか)。
またライオンは様々なポーズを取って相手にジェスチャーを伝えたり、鳴き声の種類も多く、様々な声を出してコミュニケーションを行います。その中にはネコ
のニャーといった声に近い鳴き方をしたり、喉を鳴らしたり、咳をするような音を出すものもあります。また
夜になるとライオンは大きなうなり声を出すことが多くなり、その声は8km離れたところからでも聞くことが出来るといわれて
います。このようなうなり声は夜間お互いの位置を仲間に知らせるために使われるようです。一般にオスのうなり声はメスのうなり声よりも太く大きなものと
なっています。
またこの他にも木に傷を付けたり、尿をかけることでマーキングし、その地域が自分たちのなわばりであることを他のライオンに知らせる行動も見られます。
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(上) インドライオン(オス)
(下) インドライオン(メス) |
さて冒頭にも述べたとおり、実はライオンにはアフリカに棲む者
の他に、アジアに棲むインドライオ
ンと呼ばれる亜種がいます。見た目はアフリカのものとそれほど大差はないのですが、アフリカのライオンと比べるとインドライオンの方がやや体が小さくて色
が薄く、たてがみが短くなる傾向があるといわれて
います。またお腹の部分には胴体の縦方向に走る皮膚のひだがあるのも特徴であ
るとされています。
アフリカほど大型の草食動物がいないインドですが、インドライオンは主にニルガイという細身のウシに似た動物や、シカ、イノシシなどを食べて生活していま
す。また周辺で家畜として飼われているウシを食べることもあるそうです。
実はかつてインドライオンはイ
ンドはおろか中東やトルコ果てはギリシャなどのヨーロッパにまで幅広く分布していました。しかしその後長い歴史の中で人間に
よって大量に狩られたり、生息地を奪われたりした彼らは次第にその数を減らし、現在はインド北西部にあるギルの森とその周辺部にわずか200頭たらずが残される
のみとなりました。
インドライオンがここまで急激に数を減らしてしまったのにはいくつかの原因があったといわれています。まず彼らの生息地はアジアやヨーロッパといった人口
の多い地域と重なっていたため、アフリカ大陸のライオンよりも狩りの対象となりやすかったと思われます。また彼らは主に群れで昼間行動することが多かった
ため、トラやヒョウよりも見つかりやすくて狩るのが容易であり、また18世紀以降の近代的な重火器の登場後は狩りが大規模化し、一気に生息数が激減するこ
とになってしまいました。
従って非常に絶滅の危険性が高
い状態にある彼らですが、現在はインド政府の厳重な管理のもとで保護が行われており、徐々にですがその数は回復して、
2006年4月には359頭にまで増えているのが確認されたと
いうことです。またギルの森だけに生息地を限定すると、伝染病などで一度に死滅してしまう可
能性があることから、現在第二の生息地として、インド中部にあるマディヤ・プラデーシュ州に新たな保護区を設け、ギルの森から一部のライオンを移住させる
計画がなされているそうです。
ところでインドといえば同じ国に棲むトラさんが有名ですが、インドライオンとトラが出会ってケンカになることがないのか気になる人がいるかもしれません。
ライオンとトラのどっちがネコ科の中で強いんだろうというのは誰しもが一度は疑問に思うことだと思いますが、実はインドライオンの棲むギルの森周辺にはト
ラは棲んでいないため、自然界で彼らが出会うことはありません。なので、獲物をめぐったりしてケンカになることもないようです。
現在日本の動物園では東京の上野動
物園と神奈川県のズー
ラシアの2つでインドライオンを見ることが出来ます。
現在ライオンには
7種類の亜種が
いるといわれており、その内の一つが上で述べたインドライオンで、それ以外のものはみなアフリカ各地に分布しています。こ
れらの亜種は素人が見てもあまり違いが分からないのですが、研究者によると
たてがみや生息地などに基づいて分けるこ
とが出来るといわれています。しかしな
がらこれらの分類の仕方は研究者によって異なり、アフリカのライオンが何種類の亜種からなるかは結論が出ておらず、実際にはアフリカのものは1つの亜種と
してまとめることが出来るのではないかという説もあります。
そして近年まで北アフリカと南アフリカには
バーバリーライオンと
ケープライオンという2種類の
亜種が棲んでいたとされています。このうち
バーバリーライオ
ンは北アフリカのモロッコからエジプトまでの地域に分布していました。彼らの特徴は何といっても
その体の大きさにあり、
全長は3〜3.5mに達し、体重も
150kgもあったといわれています。これは
近代以降に確認されたライオンの亜種の中
では最大のものです。しかしながらこのバーバ
リーライオンは
1922
年にモロッコで殺されたものを最後に目撃されておらず、絶滅したのではないかとされています。
一方ケープライオンはアフリカの北に棲むバーバリーライオンとは反対の、
南アフリカの南端の地域に棲んでいました。
彼らも普通のライオンと比べて大きな体
を持っていたとされており、
メ
スのもので全長264cmの剥製が存在していたと記録されて
います。しかしながら
ケープライオンも1865年を最後に絶滅してし
まったといわれています。
しかしそんな中バーバーリーライオンについては、
絶滅する前に捕獲され、各地の動物園で飼
われていた記録があることから、現在もその子孫が飼育下で生き
残っていのではないかといわれています。そして特にイギリスやエチオピアの動物園で飼われているライオンはバーバーリーライオンの生き残り
なのではないかと有力視されて
います。現在
民間団体や大学機
関などが協力し、世界の動物園のライオンの亜種を調べ上げ、残っているバーバーリーライオンを突き止め繁殖を行い、再び故郷
であるモロッコのアトラス山脈にある国立公園へ返す計画が立ちあげられているそうです。
ところで現在ヒョウ属にはライオンを含め、ヒョウ、トラ、ジャガーの4種類がいますが、
実はライオンは残りの3種類すべてと交配
し、子供を産んだ記録が残っています。その中でも
トラは最も交配例が多く、父親がライオン
で母親がトラの場合はライガー、その逆の場合はタイゴンと呼ばれます。このうち
ライガーは一般的な
ライオンやトラよりも大きくなる傾向があり、全長3.0〜3.7m、体重
360〜450kgにまで成長します。また彼らは
ライオンに似た黄褐色の下地の上
にトラに似た縞模様や斑点を持ち、両方の親の特徴を兼ね備えています。オスのライガーの場合、約50%の確率でたてがみを持ちますが、純粋
なライオンのオ
スほど大きはくなりません。またオスのライガーは繁殖能力はありませんが、メスのライガーの場合、まれに繁殖能力があり子孫を残せる個体が現れることもあ
ります。
この他に
ライオンとヒョウの合
いの子はレオポン、ジャガーとの間に生まれた子供はジャングリオンと呼ばれますが、ライガーほど成功例は多
くないようです。
このうち
レオポンについては我
が日本でも今はなくなってしまった、兵庫県西宮市の阪神甲子園パークで5匹のレオポンが1960年代から80年代にかけて誕
生し、飼育されていた記録があります。
話としては面白いこれらの雑種達ですが、現在は純粋な種の保存が重要視されているため、昔のように行われることはほとんど無くなっているそうです。
ところで雑種とは異なるのですが、他にもう一つ見た目が普通のライオンと大きく違うものが知られています。それが南アフリカのクルーガー国立公園やティム
バヴァティ禁猟区でまれに現れる
ホ
ワイトライオンです。
ホワイトタイガーなら知っているという人も多いと思いますが、正にこの
ホワイトライオンはホワイト
タイガーのライオン版で、
ほと
んど白に見える非常に薄い色をした毛皮を全身にまとっています。
白い個体が産まれるのは他の様々な動物で見られる現象で、その多くが遺伝的な突然変異などにより色素を作るための遺伝子が欠損した「アルビノ」と呼ばれる
ものです。しかし
ホワイトライ
オンの場合はこのアルビノと異なり、遺伝的には何ら問題はありません。実はライオンたちの中には白い毛皮の遺伝子
をもつ個体がごく僅かにいるのですが、両方の親からこの遺伝子を受け継いだ子供だけがホワイトライオンになり、それ以外父親か母親のどちらか一方から普通
の毛皮の遺
伝子を受け継いだものはおなじみの黄褐色の毛皮となります。このような個体は
「白変種」と呼ばれ、逆にクロ
ヒョウなど同様のメカニズムで生まれ、本来の色より黒くなる個体は「黒変
種」とは対照的です。
実は
南アフリカでホワイトライ
オンは何百年も前から、伝説や逸話の中に残されていたのですが、実際にはいないのではないかとその存在は疑問視されて
いました。その後20世紀に入っても目撃談は相次ぎ、ついに
1975年にティムヴァティ禁猟区で最初のホワイトライオンの子供が確
認されたことでその存在
が明らかにされました。
私たちがライオンと聞くとどうしても頭をよぎってしまうのが、彼らの
「人食い」としての顔です。野
生のライ
オンたちが積極的に人間を狩ることはほとんどありませんが、
有史以後文字通り数え切れないほどの人々
が彼らの餌食になってきたことも真実です。
ライオンによ
る被害の中で最も有名で悲惨であった事件は1898年にケニアで起こった、通称「ツァボのライオン」と呼ばれるライオンによるもので
す。
当時事件の舞台となった地域では鉄道の建設が行われており、付近を流れるツァボ川に陸橋をかける工事が行われていました。そしてそのために多くの土木作業
員が働いていたのですが、悲劇はそこで起こりました。
作業に没頭する人々の前に2頭の大きなオスライオンが現れ、なんと28人もの人々がこのライオンに
よって次々と殺されてしまったというのです。
時間がたってもライオンによる殺戮は一向に収まらず、工事は半ば中断され、最終的に
主任技術者であったピーター・パターソンが2頭を撃ち殺すことでようやく悲劇は終焉を
迎えました。このうち一匹のオスライオンは全長3mに達し、その死体は8人の作業員達が力を合わせてようやく運ぶことが出来たといいます。
そして後年これ
をもとにした映画
「ゴースト&ダー
クネス」が製作・公開され、この事件は一般にも知られるようになりました。(一説には犠牲者の数は135人ともいます
が、どちらが正しいのでしょう?)
この他にもライオンの棲んでいる地域では今日まで数多くのライオンによる人食いの事例が報告されています。しかしなぜ本来人を狩ることがなかったライオン
たちが人食いへと変化するのでしょうか?実は一連のライオンによる事件には
一つの共通点があると
されています。人食いになり、ハンターたちによって殺され
たライオンたちの体を詳しく調べたところ、
その多くがオスライオンで、またたてがみ
が少なく、歯が摩耗していました。このことは
多くの人食い事件を引き起
こしたのは年老いて体の弱ったオスライオンであり、一部の人々からはこのようなライオンたちは野生動物を狩ることが出来ないため、手近なより力の弱い人間
を襲うようになったのだという意見が出されました。実際近年においても2004年4月にタンザニア南部で35人の人々を殺して食べたとさ
れ、人間によって
駆除されたライオンは歯の下に大きな腫瘍があり、臼歯はところどころひび割れていて、またたてがみもほとんど無かったそうです。
しかしながら
これらの老化によ
る衰えはすべての人食いライオンに当てはまるわけではなく、あくまでも一つの要因であると考えられているにすぎません。また
ツァボの事件は1世紀以上前のことであり、より文明が発達した現代では昔話でしかないと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。アメリ
カとタンザニアの科学者によると、
近年タンザニアにおいてライオンによる犠
牲者の数が急増しており、1990年から2005年の間になんと563人も
の村
人がライオンによる餌食になってしまったというのです。そして特に犠牲者たちは多くのライオンが生息する同国のセルー国立公園近辺とモザン
ビークとの国境に近いリンディ州というところ
に集中していました。しかもリンディ州の事例では村の外に出た人だけでなく、比較的大きな村の中心付近にいた人までが襲われています。
これらの事件は恐らくアフリカにおいても近年開発が進み、
本来ライオンたちのすみかであったブッ
シュなどに人間の居住地が広がって行ったことから、周辺の
獲物が少なくなり、逆にライオンが人を襲うようになった結果であるといわれています。そしてここで問題となるのはライオンの保護と人間の暮
らしとのあり方
であると、この問題に詳しい多くの人々は語っています。つまり
国立公園や保護区を建設する際には、地域
住民の安全をきちんと確保した上で保護を行う必要が
あり、また居住地を拡大するときにはそこに棲んでいるライオンたちとの競合を念頭に入れて行うべきであるというものです。
またアフリカ諸国特有の政治的な複雑さがライオンによる人間への被害を引き起こす例もあります。南アフリカ共和国には隣接するモザンビークとの国境に沿う
ような形で、クルーガー国立公園という自然保護区が設けられています。この国立公園はアフリカ有数のライオンの保護区でもあり、数多くのライオンたちが暮
らしているのですが、なんと夜になるとモザンビークからの亡命者たちが、この国立公園を横切る形で歩いて南アフリカ国内に入ってくるというのです。むろん
亡命者の多くはライオンに対する防御のための武器など持っておらず、数知れぬ者たちが夜の闇の中、彼らの牙と爪の餌食になってしまいました。
もともと南アフリカ共和国とモザンビークの間では人の往来が激しく、かつては昼間でも普通に両国の間を多くの人々が行き来していました。しかし1948年
から人種隔離政策であるアパルトヘイトが施行されると両国の国境は閉鎖され、人々の往来も禁じられました。こうなるとモザンビークからの亡命者達は姿が目
立つ昼間を避け、夜間国境警備の目をかいくぐって密入国するようになります。しかし昼間は比較的おとなしくしているライオン達も夜には非常に活動的にな
り、丸腰の亡命者たちを次々と襲うようになったというのです。実際クルーガー国立公園の職員達も同園でのライオンによる人食いが問題となっていると語って
います。
現在タンザニ
アでは毎年70人以上の人々がライオンによって命を落として
いるといわれています。先に述べたとおり、ライオン達は一度新しい種類の獲物を食
べるようになると、次からはそれを習慣的に狩るようになると述べましたが、
彼らの生息地の近くに人間が住み始める
と、ふとした要因で人間や家畜と接触した
り、またその死体をあさる機会が増え、それによって新たな人食いライオンが生み出される危険性があります。つまりライオンと人間の生活の場
のあり方考える
ことは、彼らの保護だけではなく、同時に人命の安全と哀れな人食いライオンの駆除を減らすことにつながることを我々は知っておく必要があると思われます。
[画像撮影場所]
恩賜上
野動物園
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東山動植物園
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