そんな怖い一面も持っているライオンさんなのですが、その強さとかっこ良さはいつの世も人々の間では魅力的なもののようで、なんと
ドイツのボーゲルヘルド
洞窟では32,000年前のものと思われるライオンの頭の形をした象牙で出来た彫刻が見つかっています。
この時代は氷河期の真っただ中で、人類文化的には旧石
器時代にあたり、この彫刻は当時ヨーロッパに棲んでいた
ヨーロッパドウクツライオンを
もとにしたものだと考えられています。また
有名なフランスのラスコー
洞窟には15,000年前のものと思われる、2頭のライオンの壁画が残っています。
かつて
ライオンは比較的最近ま
でアフリカ大陸の大部分とユーラシア大陸南部全域に棲んでいたとされ、これに伴い世界中の文化圏の様々な場所の遺跡などで彼らの姿を見
ることが出来ます。例えば
古代エジプトではライオンを神聖なものと
して考え、バステトやスフィンクスといった数多くのライオンの姿をした神々を崇拝してい
ました。ただ古代エジプトが他の文化圏と異なっていたのは、
彼らが特にメスライオンを崇拝していたと
いう点です。上の神々もメスライオンの姿で描かれ、オ
スライオン特有のたてがみは持っていません。普通ならば他でもうよく見られるように威風堂々としたオスライオンをシンボルとして用いそうなのですが、なぜ
か
エジプト人はメスライオンを好んで用いていました。一説には
彼らはメスライオンが行う、非常に高度な
狩りの戦術を高く評価したため、戦(いくさ)の神としてあが
めたのだといわれています。
ギリシア神話
では英雄ヘラクレスと闘う獅子の伝説が描かれ、この話が現代
の獅子座のもとになりました。また古代バビロ
ニア文化ではライオンをかたどった彫
刻が数多く作られ、その他にも聖書の中にもライオンは神聖なものとして描かれている記述があります。ライオンを崇拝したのはアジアの諸国も同じで、
インド
のヒンドゥー教の聖典には、最高神であるヴィシュヌがナラシンハと
いうライオンの頭と人間の体を持った姿に変化して登場する様子が描かれています。このた
めインドライオン達はインド国内のヒンドゥー教徒たちによって神聖なものと考えられています。また
中国では獅子としてライオンの姿をした置
物を皇帝など有
力者の住む建物の前に配置するようになり、はるか朝鮮や日本にも狛犬の
形で伝わっていきました。ちなみに日本語の獅子の
「獅」という漢字は、
中国では百獣
の王である彼らを偉い人を表す「師」になぞらえたことに由来
しているといわれています。またよくライオンのことを
「レオ(leo)」と呼び、こ
れは彼らの
学名である
「Panthera
leo」にも使われていますが、もともとは
ラテン語の言葉であるそうで
す。
このようなライオンに対する畏敬の念は中世に入っても続き、王侯貴族の間ではライオンをかたどった旗や紋章が用いられ、勇敢なものには「ライオン」の名が
付けられました(例えばイングランドのリチャード一世は「リチャード・ザ・ライオンハート」と呼ばれていました)。そして現代でも国旗(スリランカのもの
が有名)や国章、スポーツのチームのシンボルマークの中にもライオンをモチーフとしたものを数多く見ることが出来ます。
神として崇拝されたり、強さの高潔さ、荘厳さの象徴として扱わ
れる一方で、ライオンは古代ギ
リシャの時代から人間によって捕らえられ、見世物としても使われてきました。有名なところではあのアレクサンダー大王もはる
ばるインドから贈られてきたインドライオンと思われるライオンを飼っていたといわれています。
ローマ時代に
入ると歴代の皇帝は数多くのライオンを飼い、闘技場で人間の
剣闘士たちと闘わせました。また古代ローマで強い権力を誇った軍人であるユリウス・カエ
サルは何百ものライオンを虐殺したといわれています。ライオンを飼っていたのはヨーロッパの王族だけでなく、インドの歴代君主たちも好んで
ライオンを飼育
しました。そしてあのマルコ・ポーロが伝えるところによると、モンゴル帝国を支配したフビライ・ハーンもライオンを飼っていたそうです。
時代は下って13世紀ごろにな
るとヨーロッパで現代の動物園の原型となるものが生まれ、イギリスのロンドン塔近くに当時のジョン王が作った動物園(当時の
動物園は一般公開はされておらず、王族や貴族が楽しむためのものでした)などでライオンが飼われていた記
録が残っています。同じようにヨーロッパ各地の貴族た
ちは富にものを言わせて、ライオンを含む世界中の珍しい動物たちを捕まえ、自分たちの動物園に集めていきました。その中では捕まえた動物を別の動物や家畜
達と一つ
の穴に入れて戦わせるような行為も行われていたということです。
しかし17世紀ごろから次第に動物園が市民の手にゆだねられるようになると、このような動物同士の戦いは行われなくなっていきます。その一方で貴族たちは
ライオンなど大型のネコ科動物を19世紀ごろまでペットとして飼いつづけました。このようなそれぞれの時代における支配者たちがこぞってライオンを飼いな
らしたのには、好奇心の他に強大な自然の象徴である彼らを自らの支配下に置くことで、自分の権力を誇示したり、また自己満足を得るなどの理由があったとい
われています。
さて19世紀に入ると動物園の
動物たちは一般の市民にも公開されるようになり、ライオン達もゾウやトラとともに人気の動物としてその中心に置かれます。またこの時
代の動物を使った代表的な娯楽の一つにサーカスがありますが、初期のサーカスは曲乗りなど主に乗馬による芸が主流でした。が、この頃になるとライオンなど
の猛獣をまるでペットのように飼いならす、大道芸人達が現れ、サーカスショーの人気もこれらの動物を使ったものへと変化していきます。しか
しなが
ら当時の飼育環境はお世辞にも良いものとはいえず、ライオンたちはそこでの苦しい生活を強いられることとなりました。そして同じ時代ライオンを含む
見世物用の動物たちの狩りが大規模化し、世界中で乱獲が行われるようにもなりました。また一部には個人でライオンを飼う人々もいて、中には映画「野生のエルザ」で有名なメスラ
イオンのように極めて人間になれたライオンもいたようです。
20世紀になるとしだいに動物達をより自然に近い環境で飼育するべきであるという声が高まり、ライオンの檻も以前のような鉄格子で囲まれたコンクリートの
ものから、植物や土で出来た、隠れる場所などもある十分な広さのあるものへと改善されていきます。これによりライオンたちの生活環境が向上しただけで
な
く、動物園にきた人々もより自然に近い状態の彼らを見ることが出来るようになりました。
現在ライオンは主にアフリカと、インドに少数だけ見ることが出来ます。しかし
最後の氷河期である後期更新世(10,000年前ごろ)まで、彼らはサハラ
砂漠と熱帯雨林地域を除くアフリカ大陸全土とユーラシア大陸の大部分、果てはベーリング海峡をへてカナダからはるかペルーまでのアメリカ大陸までの非常に
広大な地域に分布していたことが分かっています。この時代陸上の大型ホ乳類でこれほど大きな分布域を持っていたのは人間と彼
らだけであり、もっとも繁栄し
た動物の一つでした。
氷河期が
終わるとアメリカにいたグループは絶滅してしまいましたが、アフリカとユーラシア大陸のライオンはその後も繁栄を続けまし た。
有史以降もヨーロッパにもギリシャなどでは比較的最近までライオンがいたことが分かっており、
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは紀元前480年ごろのギリ
シャでは普通にライオンの姿を見ることが出来たと記しています。しかしその後600年後の西暦100年ごろには、すでにこの地域からライオ
ンはいなくなっ
ており、さらに
10世紀ごろにコーカサス地方で最後に生き残っていたものが絶滅したことで、ヨーロッ
パからライオンの姿は完全に消えてしまいました。
さらにパレスチナなどに生息していたライオンは中世には見られなくなり、インドライオンの項でも述べたように18世紀以降狩りのための銃器が発達すると、
各地で
さらに減少の速度は大きくなっていきました。そして
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、北アフリカや中東、インドの大
部分といった広大な地域における
ライオンたちが全て絶滅に追いやられてしまいました。
こうして現在生息している大部分のライオンは東アフリカと南アフリカに分布することとなりました。そして
1950年代にはアフリカ全体でおよそ40万頭の
ライオンが生息していわれていましたが、その後生息地の減少などにより、急激に数を減らし、
現在はその10分の1以下の1万7千頭〜4万7千頭程度しか生き残って
いないとされています。特にこの20年間の間で彼らの数は30〜50%も減少したといわれています。また
西アフリカにいるライオンは他のアフリカ
の生息地のものと比べるとよ
り危険な状態にあり、その生息数は850〜1160頭程度し
かないと見積もられています。これを受け
世界自然保護連合のレッドリストでは彼らを絶滅の危険
性がある動物(危急種)とし
て指定しています。
かつてのようにアフリカ全土にライオンが分布しているような状態と比べて、現在残っている各地の生息群は小さな群れごとに分断されており、生息地同士の交
流がほとんどありません。このような状態だと近親のライオン同士で交配が繰り返されることになり、遺伝子の多様性が失われるため、環境の変化に非常に弱く
なってしまいます。特にいったん伝染病などが蔓延すると、その群れのライオン全てが一度に全滅してしまう危険性もあり、生息地の分断はかなり深刻な問題と
なっています。
どうして近年これほどまで急激にライオンの数が減ってしまったのかはよく分かっていない部分もありますが、
生息地の減少と人間による密猟が主な
原因の一つだと考えられています。特に密猟がひどかった1960年代にはセレンゲティ国立公園だけで20,000頭ものライオンが密猟に
よって殺されたと
いわれています。また人間が住む所の近くにいるライオンは、人間や家畜をおそうことがあるため、地域住民によって害獣として駆除されるケースも多くあるよ
うです。
このような状況を受け、
現在世
界中の動物園がネットワークを作って計画的な繁殖活動を行っています。特に
自然界では300頭余りしかいないインド
ライオ
ンですが、現在100頭以上が飼育下にあり、これらの間で精
力的な交配が行われているそうです。ライオンを繁殖させる上で問題となるのが、それぞれの血統
の管理で、それぞれの亜種同士の交配を避け、純粋な遺伝子をきちんと残す必要があります(例えばアフリカのライオンとインドライオンの交配が行われると、
産まれてくる子供は半分アフリカ、半分インドの血を持ち、本来自然にいるべきものとは異なった個体になってしまいます)。しかしながら
飼育されているライ
オンの中には血統の管理が行われる以前から飼われていたり、またその頃のライオンの子孫だったりして、亜種の特定が不十分であり、これが繁殖を容易には進
められない原因となっています。
といった感じで百獣の王らしく、色々な面を持っているライオンさんですが、きっとこの先も人々の間では尊敬され、愛され続けることと思います。
執筆:2008年2月20日(最新改訂2008年3月14日)
[画像撮影場所]
多摩動物公園
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旭川市旭山動物園
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