オーストラ
リアに住んでいる長い脚が魅力のエミューさんは、なんと世界中の鳥の中であのダチョウに次ぎ2番目に背
の高い鳥さんです。彼らは広いオーストラリア大陸のほ
ぼ全部に分布していて、まさに名実ともにオーストラリアのシンボルとも言うべき存在です。
そのためオーストラリアではCMに商品名にと引っ張りだこで、その人気者ぶりを余すところなく発揮しています。そしてなんとオーストラリアの国の紋章であ
る国章にもカンガルーとともに描かれていて(下図)、他に
切手のイラストにも何度も選ばれています。正に国家レベルの人気キャラクターと
いうわけですね!
実際彼らはオーストラリアでは非常にありふれていて、沿岸部から森の中、雪の積もった山の上、
草原や荒れ地など様々な場所に住んでいます。ただあまり乾燥
した地域では水が飲め
ないためさすがに住めないらしく、木々が茂りすぎた深い森の中にも入って行くことはまれなようです。(おっきい身体が木に引っかかっちゃうんでしょう
か?)
エミューの自慢の背の高さは1.6〜1.9mぐらいで大きいものではなんと2mにも達します。ですがその体は少しスリムのようで、
より背の低いヒクイドリ
(シャレじゃないですよ)より体重は軽く30〜45kgぐらいだそうで
す。
その体は灰色がかった茶色い羽毛で覆われていますが、頭にはあまり羽根は生えていません。ダチョウよりも翼は退化していて、その体に比べると大分小さく
なっていますが先端に一本だけ爪が付いています。エミューの一枚一枚の羽根は軸の部分と先っちょが黒くなっていますが、これは羽根で日光を吸収し、直接皮
膚が熱せら
れるのを防ぐためです。これによりエミューは暑いに中でも安心して行動することができるという訳なんですね。そしてさらに暑くなると彼らは口を開けて呼吸
するようになりま
す。また逆に寒くなると大きな鼻の中で吸った空気を温め、直接肺に冷たい空気が入ることを防いでいます。
彼らは空を飛ぶことはできませんが、その代わりその発達した足を使って最高時速50kmものスピードで走りまわることができます。
そして短距離だけ
ではなく長距離も得意なようで、かなり長い距離を結構なペース(時速7キロメートルぐらい)で歩き回ることができます。彼らの足は歩きやすいように
指が退化していて、左右それぞれに前向きの指が3本ずつついています。またエミューは必要となれば泳ぐこともできるそうで
す。
また彼らは様々な鳴き声を出すことができ、オスのエミューは「エムー」という鳴き声を出すそうです。メスの声はより
低いものになっていますが、彼らの鳴き声は2km離れた所からでも聞くことができるぐらい大きなものだ
そうです。
ちなみに「エミュー」と
いう名前はこのオスの鳴き声をもとにしたものではなく、アラビア語の「大きなトリ」を意味する言葉だそうです。実はもともとこの
「エミュー」という名前はポルトガル人の探検家によってインドネシアに住むヒ
クイドリに対して付けられたものだったのですが、何故かその後現在のエミュー
を表す名前に変更されたそうです。
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オーストラリアの国章
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エ
ミューは主に植物の芽や葉、果実などを食べていますが、その他にもバッタやコオロギ、イモムシなどの昆虫類や小型の動物もよく食べます。またニワトリと同じ
ように砂嚢と呼ばれる袋の中に小石を溜めて、それを使って食べた植物をすりつぶしてから消化します。ただ体が大きいこともあって、45gもある小石を飲みこむこ
とがあるそうです。
彼らは基本的に単独行動
を行い、群れをつくることは子育てをする時以外にはありません。しかし食べ物を求めて旅をするときなどは例外的に群れを成すことが知られています。彼らの
移動パターンは主に周辺の食べ物の量の変化に従っており、西オーストラリア地域では暑い時には北、寒い時には南へと移住します。しかしオーストラリア東側
ではこのような決まった移動パターンは見られないそうです。
またエミューが食べる植物や昆虫は雨が降った後に多く発生することから、エミューは雨を追いかけるようにして移動
するとも言われています。この時彼らがどうやって雨が降ることを知るのかはよく分かっていませんが、一説には雨雲を見る、稲妻の音を聞き分
ける、濡れた土地の臭いを嗅ぐことができると言われています。
エミューの旅をする範囲は何百kmにも及ぶことが知られていますが、この間彼らは体にため込んだ脂肪からエネルギーを得ます。そして普段45kgある体重
が半分の20kg程度になってもエミューは行動することがで
きます。またエミューが住処を移動させると、糞の中に含まれる植物の種も一緒に遠くまで運ばれ
ます。そしてこれによってその植物は遠く離れた地域にも芽を出すことができ、エミュー達は植物の生息域を広げるのにも一役を買っています。
エミューの住むオーストラリアは南半球にあるため、私たちの住む日本とは季節が逆になりますが、夏真っ盛りの12月と1月頃にオスとメス
のエミューはつが
いをつくり始めます。オスとメスのエミューはその外見に大きな違いはありませんが、メスのほうが若干小さい体をしています。この夫婦生活は
その後約5か月
ぐらい続き、その間に彼らは木
の葉っぱや枝でできた巣を地面の浅いくぼみに造ります。
繁殖期になると交尾の前に彼らは互いに頭を低く、首を曲げながら隣り合わせになり、頭を左右に振り動かします。その後交尾が1〜2日ごとに行われ、交尾後
2〜3日置きにメスは合計
8〜20個ぐらいの濃い青緑色をしたからの分厚い卵を巣に産み落とします。卵の大きさは縦13cm、横9cmぐ
らいで、重さも
700〜900gぐらいあります(ニワトリの卵の約10倍以上!)。
メスが卵を産んでいる間オスは30平方キロメートルに
及ぶなわばりを守り続けますが、メスが卵を産み始めるのを見ると、すぐにオスはそれを抱きたがり、完全に産卵が終
わる前に巣の上に座り込み始めます。
この時一部のメスは巣と卵を抱いているオスを守るためにその場にとどまりますが、それ以外のメスは別の場所に行って他のオスと新たな繁殖行動を行います。
このためメスは複数のオスと交配することになり、卵の半分は本当の父親とちがうオスによっ
て温められます。またエミューは托卵行動(自分の卵を他人の巣に紛れ込ます行動)を取るた
め、この場合本
当の両親でないオスとメスが作った巣の中で育てられることになります。
そして卵を抱いている間オスは
飲まず食わずで、排便することもせずにずっと卵を抱き続けます。この間彼は体に蓄えた脂肪と、手の届く範囲にある夜露だけで生きな
がらえ、一日に何度か卵をひっくり返すためだけに立ち上がります。この抱卵期間中に、何とオスの体重は3分の2にまで減ってしまうそうです。
そして約8週間でクリーム色と茶色のしましまの入った、、頭には斑点を持つひなが産まれます。ひなの体重は440〜550gぐらいで、背の高さは25cmぐらい
です。産まれた
子供たちは非常に元気で数日もすると巣から出て行って辺りを歩き回るようになります。そしてひながかえるとオスのエミューはとても攻撃的になり、近づくも
のに攻撃を仕掛け、母親であるメスも追
い払ってしまいます。ひな達
はオスと共に餌を探し始め、この時オスは食べ物の取り方を教えますが、一緒に歩く姿はどちらかというとお父さんではなく子供たちの方に主導
権があるみたい
です。またひなの体にある縞模様は藪の中や草陰に隠れるときに役に立ちます。
産まれて三か月ぐらいたつとこの縞模様は消え、一年〜一年二ヶ月ぐらいで大人と同じ大きさになり、お父さんのオスはひなと一緒に6〜8か月ぐらい一緒に過
ごします。そしてその後彼らは別々に暮らすようになり、エミューの子供は2〜3歳ぐらいになると交尾が出来るようになります。
ちなみに
野生のエミューは10〜20年程度生きると言
われていますが、飼育下のもの
はより長く生きるようです。
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エミューの卵 |
エミューは好奇心が強いものの性格はおとなしく、卵を温めているオス以外は人間を見ても攻
撃をしてくるようなことはありません。
もともとオーストラリアに住んでいたア
ボリジニーにとってエミューは貴重なタンパク源であり、伝統的にその肉を求めて狩りが行われてき
ました。これには単
に槍で突く以外にも、網を使ったり、エミューの声まねをすることで彼らを呼び寄せたり、エミューの飲む水に毒を入れたりするなど様々な方法が取られてきま
した。他にもエミューの羽根やぼろきれでできたボールを木の枝から吊り下げておびき出すこともあったそうです。
エミューの肉は赤身が多く、牛肉に近いとても美味しい味がするよ
うで、アボリジニーたちは好んで食べていたようですが、それと共にエミューの脂も重宝され
ていたようです。傷を負った時の塗り薬として用いられたほか、色のついた顔料と共に混ぜて装飾用に体に塗るための絵具として使われたり、木製の道具の潤滑
油としても用いられていたようです。また一部のアボリジニーはエミューの毛皮
でできたサンダルをはき、歩くときに足跡が残らないようにしていたという説が
あります。
その後18世紀の終わりごろキャプテン・クックを初めとするヨーロッパ人がオーストラリア大陸に本格的に移住してくるようになると、彼らも食料
をもとめてエミューを狩るようになります。さらに各地で農園が作られるようになると、農作物や畑を荒らすエミューは農民たちの目の敵にされるようになり、駆除運動が
勃発します。
その中でも最も大きなものが1932年にオーストラリア西部で行われた「エミュー戦争」と呼ばれるオーストラリア政府によるエミュー掃討作戦で、
この時はマシンガンや手榴弾などの銃器を使った大規模なエミューの駆除が
試みられました。しかしエミューは逃げ足が速く、また羽毛の模様がカモフラージュになって見つけにくいことから、わずか12羽が仕留められただけで、作戦は
ほぼ失敗に近いものでした。(エミューすごい…。)その後は1000kmにおよぶ長いフェンスが作られ、エミューが畑に入ってこれないようにすることでな
んとか解決したということです。また人間が持ち
込んだイヌやブタ、キツネなどによるひなや卵の捕食や、自動車との衝突事故もエミュー達の生息数の減少の原因となっています。
かつてエミューはオーストラリア本土だけではなくタスマニア島など周辺の島々にも住んでい
たことが分かっています。しかし白人がやってくるとそれらの
エミューは姿を消してしまい、例えばタスマニア島にいたものは1865年頃に絶滅してしまったといわれています。こうして広大な本土にいる
エミューのみが
生き残る結果となりました。
しかし人間たちはエミューにとって悪影響だけを与えてきたかというとそうではなく、逆に彼らの生息地を大幅に広げることにも貢献してきました。それが人間
がブタなどの家畜や農業のために作った採水場で、ここで得られる水を使ってエミュー達はそ
れまで住むことが出来なかった乾燥地域にも適応するようにな
りまし た。また現在野生のエミューはオーストラリア政府によって保護されており、輸出なども禁止されています。
これらの結果オーストラリア本土におけるエミューの数は、絶滅してしまった島に住むエミューと対照的にヨーロッパ人の来る前よりも増加してお
り、現
在全体で63万から75万羽のエミューが住んでいると
考えられています。特に彼らはオーストラリアの西側とニューサウスウェールズやクウィーンズランド州
などの東側の地域に分布しています。しかしいくつかの地域では少数のエミューが他とは隔離された場所で生き残っており、これらの場所では地域的な絶滅が心
配されています。
また1987年頃からエミュー
の商業的な養殖が行われるようになりました。
先に述べたとおりエミューの肉は大変美味で健康的でもあり、また毛皮は装飾
品に使われ高い価値があり、美しい色をした卵も工芸品として加工されることから、彼らは非常に利用価値の高い家畜として注目され
ています。オーストラリア
では国の管理のもとエミューの飼育なされていますが、この他にも北アメリカの地域、とりわけアメリカでは100万羽以上のエミューが育てられ、更にペルー
や中国、そして我が日本でもエミューが飼われるようになっています。
エミューを育てるには一日に二回、2.3kgぐらいの葉っぱを与えるそうですが、それと一緒にバッタやイモムシも食べて害虫処理もしてくれます。さらに
オーストラリアなど羊を飼っているところでは、羊の毛が木のとげに絡んでしまうのが農家の人の悩みの種なのですが、これもエミューを一緒に飼っていると食
べてくれるそうで重宝がられているみたいです。
あとエミューはその脂も非常に
利用価値が高く、化粧品やダイエット用のサプリメント、様々な健康商品などに幅広く用いられています。またパッケージなどにエ
ミューを扱った商品もオーストラリアでは多く見られ、ビールなどに使われています。
とエミューはアボリジニー達の神話のなかにも登場し、その中で『太陽はエミューの卵を空に投げるこ
とで生まれた』と語られています。とても印象的な姿
をした彼らですが、その人気は太古の昔から現在まで変わることはないみたいです。
執筆:2007年9月
23日
[画像撮影場所]
よこはま動物園ズーラシア
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