「魚はエラを使って水の中でも呼吸できる」と学校で教わりますが、世界にはその常識とは異なり、
肺に空気を吸い込んで酸素を取り込む変
わった魚が知られて
います。それが
「ハイギョ(肺
魚)」と呼ばれる魚の仲間で、これまで世界中で
6種類のハイギョが見つかって
います。その中で唯一オーストラリアに棲んでいるのが
この
オーストラリアハイギョで
す。
実はハイギョは太古の昔に地球上で大繁栄した生き物で、オーストラリアハイギョはそれらの生き残りであり、その頃からほとんど姿が変わっていない、まさに
「生きた化石」と呼べる存在で
す。化石によると彼らの祖先が現れたのは
4億1300万年〜3億8000万年前のデボン紀と呼ばれる時代のことで、あのシー
ラカンスと並んで、
現存する脊
椎動物の中では最も古いタイプの一つだいわれています。
近代社会において彼らが発見されたのは
1869年のことで、フォース
ターと呼ばれる人によってバーネット川という川で見つけられました。この時彼はこの魚がサケの仲間だと勘違いしたのか、なぜか「バーネットサケ」という名
前で周りに公表しました。この標本はその後地元の博物館員の手を経て大英博物館に送られ、古代に生きていたハイギョの生き残りであることが明らかにされま
した。
オーストラリアハイギョが見られるのはオーストラリア国内でも主にクイーンズランド州だけで、州の中の限られた川や池にのみ生息しています。
彼らが棲んで
いるのはほとんど流れのない、水草の多く茂った水の中で、普段は水底にあるくぼみの中などに、沈んだ丸太のようにじっとして生活していま
す。そして大抵は
3〜10mの深いところにいるのがほとんどのため、あまり人目に付くことはありません。
オーストラリアハイギョは淡水魚の中ではかなり大きくなる魚で、
全長1m、体重20kgまで成
長します。これまで知られている中で最も大きかったものは
全
長1.5m、体重43kgもあったといわれています。
彼らの全身はぬるぬるとした粘液で覆われていて、オリーブグリーンから茶色い色をしており、それとは対照的に体の下側は薄い黄色からオレンジ色をしていま
す。また全身には濃い色の斑点が見ら
れますが、これは年とともに薄くなっていきます。古代魚の仲間である
彼らのうろこは一般の魚のものよりも大き
く、まるでよろいのように全身を守っていま
す。また魚のひれというと薄っぺらいイメージがありますが、
彼らのひれは肉質で分厚く、胸びれと腹び
れはちょうどオールのような形をしています。その一方
で背びれは体の真ん中あたりから後ろに伸び、さらに尾びれと尻びれと一つになることで大きな一つのひれとなっています。普段じっとしていて動きが鈍いイ
メージのある彼らですが、危険を感じるとこの大きな尾びれを使って素早く逃げ去ることが出来ます。
また彼らの体の特徴はその骨にもあります。魚類には大きく分けて2種類の骨格を持つグループがあり、一つは通常の魚のように硬い骨を持つ「硬骨魚類」と呼
ばれるグループで、もう一つはサメやエイのように骨が柔らかい「軟骨魚類」とよばれるものです。これに対してオーストラリアハイギョはちょうどその中間的
な存在であり、
彼らの骨格の一
部は硬骨ですが、背骨や肋骨、骨の中央部分は軟骨で出来ています。
オーストラリアハイギョは雌雄でほとんど違いがなく、見た目でオスとメスを見分けるのは素人ではそう簡単には出来ません。主な違いとしては体の大きさがあ
り、メスのほうがオスよりもわずかですが大きくなる傾向があります。また繁殖期になるとオスの体の側面に鮮やかな赤い模様が浮かび上がるという違いもあり
ます。
オーストラリアハイギョは基本的に肉食性で、
主な獲物はカエルや小魚、巻き貝、エビ、
そしてミミズなどです。またごくたまに藻などの植物性の食べ物も食べ
ることがあります。彼らの口の中には丈夫な板状の歯が備わっており、これを使って捕らえた獲物をすりつぶします。オーストラリアハイギョの眼は非常に小さ
く、あま
り視覚は良くないといわれています。このため、彼らは獲物を狩るときは、視覚ではなく
嗅覚に頼っていると
考えられています。また近年の研究では
彼らの体内にはサメなどが持つ、獲物の発
する微弱な電気信号を感じる器官が備わっているこ
とが明らかになり、
獲物を探
すときには同時にこの能力も使われているといわれています。
彼らの産卵期
は毎年8〜12月で、10月頃が最も盛んに産卵が行われる時期だと言われてい
ます。オーストラリアハイギョの求愛行動はとても複雑で、まずは
オスとメスが産卵に適した場所を探して広い範囲を泳ぎ回ります。彼らが産卵を行うのは1m以上の深さがある、比較的水の流れの強い、水質のきれいな、底に
水草
が多く茂っている
ところで、そのような場所を見つけるとオスとメスは水面近くで互いに回るように泳ぎ始めます。この時の泳ぎは普段のものより激しく、より多くの酸素を必要
とするせいか、頻繁に20分程度の間隔を置いて水面に顔を出し空気を吸い込みます。その呼吸音は大変大きく、「小さなウシのげっぷ」のような音がすると言
われ
ており、産卵地周辺では多くのハイギョがこのような音を一斉に出す様子が見られるそうです。
そして次にオスが興味を持つメスの体を鼻先で軽く突っつくような行動をとったり、水草を口にくわえて振り回すなどして求愛を行います。そしてプロポーズが
成功すると互いに水草の中に潜っていき、そこで産卵が行われます。産卵の時にはペアの二匹はぴったりと寄り添い、互いの体を絡み合わせるように動きます。
オーストラリアハイギョの卵は比較的大型で、直径が1cmぐらいの大きさがあり、半球状の形をしていて、さらにベトベトとした粘膜で覆われています。
卵の
比重は水よりも重く、産み落とされるとすぐに沈んでいって水草にくっつきます。卵は通常1つもしくは2つずつ生み付けられますが、まれに複
数の卵がひとか
たまりになっることもあります。そして卵が産み落とされるとすぐにオスは精子かけて受精させます。そして卵は水草にくっついた状態で成長していきますが、
親のオーストラリアハイギョが卵を守ったり、世話することはありません。また産み落としたときに水草につかず、川底に落ちてしまった卵は残念ながら孵化す
ること
はありません。
その後3〜4
週間がたつと卵は孵化し、全長1cmぐらいの黒い体をした稚魚が
産まれてきます。また稚魚の体には金色もしくはオリーブブラウンの斑点があ
り、背びれも大人のものよりかなり前方、頭のすぐ後ろにまで伸びいて、親とは似ても似つかない姿をしています。産まれたばかりの稚魚の体にはまだ卵黄の残
りがくっついており、しばらくの間は水草
の間でじっとして、この卵黄の栄養を使って成長します。そしてさらに2〜3週間すると体内の消化器官が発達し、餌を自分でとって食べることができるように
なります。
彼らの成長の
速度は比較的ゆっくりとしており、通常であれば6cm成長するのに8か月、さらに12cmに達するのには2年を要します。しかしこの成長速
度
は周りの環境の影響を大きく受けるようで中には6か月で25cmになるものもいるそうです。また25cmぐらいにまでなると、ハイギョ特有の肺呼吸が可能
になります。そして
完全に大人
になって繁殖ができるようになるまではオスの場合で17年(体
の大きさは74〜79cmぐらい)、メスだと22年(体の大
き
さは81〜85cmぐらい)もかかるといわれています。
したがって普段の生活もさることながら成長ものんびりとした彼らなのですが
、その寿命も長く、大変長生きする魚で
あるといわれています。自然界における彼らの寿
命がどれぐらいなのかはよくわかっていませんが、おそらく
60〜100年ぐらいなのでは
ないかと考えられています。飼育下においてはアメリカ、シカゴにあ
るシェッド水族館に飼われているオーストラリアハイギョの年齢は
80歳を超えており、現在人の手で飼われている魚の中で最も長生きして
いるのものであるといわれてい
ます。
冒頭にも述べたとおり、オーストラリアハイギョを含めて、世界中には6種類のハイギョが知られていますが、その中でも彼らは一風変わった存在として知られ
ています。例えばハイギョのシンボルマークともいえる肺は、他のハイギョの場合は人間と同様二つ一組になっているのに対し、
オーストラリアハイギョの肺は一つしかありません。
また
オーストラリアハイギョは
水がなくなっても、体の表面が湿ってさえいれば、数日間から条件が良ければ数か月程度なら生きることが出来ます。しかしアフ
リカなどにいるハイギョのように完全に乾燥した気候の中で、泥の中に潜り、粘液で出来た繭の中で乾期をしのぐというようなことは無理で、ハイギョの中では
比較的水がなくなると生活に困るタイプといえます。
ちなみにハイギョ達の肺はかつて、一般の魚の体の中にある空気の入った袋である
鰾(うきぶくろ)が変化して出
来たものだといわれていました。しかし近年の
研究によると実はその起源は全く逆で、
ハイギョのような原始的な魚達が肺を獲得
した後に、それが鰾に変化して現在見られるような体の構造を持つ魚へと進化
したのだということが明らかにされました。
オーストラリアハイギョは基本的に
夜
行性で昼間はあまり動くことはなく、午後から晩にかけて餌を探しに出かけます。また彼らは生涯をとして、行動範囲が狭
く、一生を同じ水場やごく周辺の池や沼を移動するだけで終えることがほとんどです。このため彼らの生息地はごく一部の河川や池に限られてしまっているので
すが、つい最近の19世紀ごろまではもっと広い範囲の水域に分布していたことがわかっています。
しかし近年の人間によるオーストラリアハイギョの棲んでいる地域の開発によって、水質が変化したり、ダムや堰(せき)が作られることで、彼らの生息地は大
幅に減少し、その数も大幅に減ってしまいました。これを受けて1977年にはワシントン条約で彼らは保護動物に記載され、また古くからオーストラリアで
は法律で彼らを保護の対象とし、オーストラリアハイギョの持ち出しにはかならず政府の許可が必要とされています。
またオーストラリア各地で彼らを別の池や川に放流する試みが行われていますが、これらがどの程度成功しているのかは今のところよくわかっていません。その
一方で最近ではオーストラリアハイギョの棲む水域にティラピアのような外来魚が放され、原生種である彼らの生存に大きな脅威になっているともいわれていま
す。
彼らの生息数の減少にはその繁殖ペースの遅さも影響していると言われています。彼らが繁殖を行うのは一般に
5年に1度程度しかなく、さら
にメスのオースト
ラリアハイギョの産む卵の数は魚類の中では少なくて、一匹のハイギョから生まれる子供の数は限られています。しかも飼育下では200〜600個の卵を一度
に
産み落とすこともあるのですが、なぜか自然界で産まれている卵の数はそれよりもずっと少なくて、
生涯を通じて数百個程度しかあ
りません。このため天敵の少
ない彼らですが、一度生活環境が変わり、その数が減少すると、回復は非常に遅く、手遅れになってしまう危険性が大きいと見られています。
一方で彼らの体は他の魚とは大きく異なるため、生物学的に重要な研究対象とされています。それは見た目に見えるものだけでなく、細胞レベルでも特徴があ
り
、彼らの体を構成している細
胞は他の動物と比べて非常に大きく、その中に含まれている遺伝子を含んだDNAからなる染色体も巨大なものであることがわ
かっています。これらの点からオーストラリアハイギョは学術的に重要な存在であり、その絶滅の危険性に対しては世界中の科学者から警鐘が鳴らされていま
す。
執筆:2008年5月25日
[画像撮影場所]
恩賜上野動物園
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須磨海浜水族園
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