スティーブ
ンイワサザイ Stephens Island Wren
南半球の太平洋上に位置するニュージーランドは、主に北島
と南島という2つの島から
成り、さらにその周辺には数多くの島々が点在しています。その中でも南島の北側は大変入り組んだ地形をしていて、数多くの小島が存在し、その最も北のとこ
ろにはスティーブン島と
呼ばれる小島が浮かんでいます。ぱっと見たところ木で覆われたこの島は何の変哲もない普通の小島に見えるのですが、かつて今から130年ほど前にこの小さな
島で生物の歴史上非常に重大でショッキングな出来事がありました。
スティーブン島はわずか2.6平方キロメートルの小さな島で
すが、急激に切り立った斜面に囲まれており、海から突き出した巨大な岩の塊のような形をしてい
ます。この島には入り組んだ海を航海する船のために一つの灯台が立てられているのです
が、この島に初めて人が住むよ
うになっのは19世紀末のことで、それ
もこの灯台を造るために初めて人間が足を踏み入れました。
灯台の建設が始まったのは1879年のことで、その15年後の1894年には灯台が本格的に可動し、3人の灯台守とその家族がこ
の島で暮らし始めるようになります。そんな中1891年に灯台の建設に携わっていた建築士の一人は「この島には2種類のミソサザイが棲んでいる」 と記しています。ミソサザイというのはスズメの遠い親戚に
あたる鳥のことで、大きさもちょうどスズメぐらいで、建築士たち
はこの絶海の孤島にも鳥たちがたくましく暮らしていることを知ります。
そんな中1894年2月ごろ灯
台守とともに一匹の妊娠したネコがスティーブン島へと持ち込
まれます。このネコは島に着くとすぐ人間の住みかを飛び出し、島
の中へと逃げ出してしまいます。そして彼女はこの島で子供を出産したようなので
すが、このネコの一族はその後歴史的に大変な出来事を引き起こすこととなります。
それから4か月ほどが経過した、南半球にあるスティーブン島では冬にあたる6月ごろ、3人の灯台守のうちの1人であったデビッ
ド・ライオールのもとへ、ネ
コが一匹の小さな鳥を口にくわえて持ってきます。
すでに鳥は死んでいたのですが、そ
の姿はミソサザイのものに似ており、恐らく数年前に建築士が記した島に
棲む2種類のミソサザイらしき鳥のうちの一つであると思われました。けれどもこの鳥はオリーブグリーンがかった茶色い
色の体して、体の下側の色は明るく、縁の部分が濃い色をした羽根が生え、くちばしと尻尾の長
い姿をしており、また翼は短く、丸みを帯びた形をして、ライオールにとって全く見慣れないものでした。
きっとこれはかなり珍しい種類の鳥なのではないかと思い、自然科学に興味のあったライオールは鳥類学者であるウォルター・ブラーのもとへとその鳥の標本を
送ります。そしてこ
れを受け取ったブラーは一目見て、これは今まで誰にも報告されていない新種
の鳥であると断定し、学術誌にそれを発表するための記事の準
備にとりかかります。
そしてそうこうするうちにもネコはライオールのもとへせっせとこの見慣れない鳥を運び続け、この年の間にライオールは9羽の標本を手に入れることと
なりま
す。そして彼は今度はブラーでなく、
トラヴァースという男にこの標本を見せます。これを見たトラヴァースは、この鳥は非常に貴重なもので、かなり価値があると考
え、ライオールの持っていた9羽の標本をすべて買い上げます。そしてトラヴァースはこの鳥を持って、ブラーとは別の鳥類学者である、ウォルター・ロス
チャイルドのもとへ行き、おそらくかなりの高額でこれらの標本をロ
スチャイルドに売り渡しました。このときトラヴァースはロスチャイルドに向けて「今この鳥
を買わないと、彼らは近い将来に絶滅してしまうだろう」と鳥の希少さをアピールして、ロスチャイルドの購買欲をあおっていたようです。
そしてこの年の12月にロス
チャイルドはブラーを差し置いて、英国鳥類学者クラ
ブの機関誌にこの鳥の論文を発表し、新たに学名として「Traversia
lyalli 」という名を与えました。そ
してこの鳥はこれ
まで知られているミソサザイとは異なり、全く新たなグループの鳥であるとして、「スティーブンイワサザイ」と
名付けられました。(ちなみに学名のlyalliというのは発見者であるライオールにちなんだもので
す。)
これによりもともと最初にスティーブンイワサザイが
新種だと断定したのはブラーだったのですが、
結果として論文の発表が遅れ、ロスチャイルドに先を
越されて世間に公表されて
しまいました。実はロスチャイルドはブラーが既にこの鳥の存
在を確認して、論文の下書きまでしていることを知っていたようで、ロスチャイルドの発表した記事
を見たブラーは怒り狂い、年が明けた1895年4月に、ロスチャイルドの付け
た名前とは異なる「Xenicus
insularis」という学名を付けて、別の雑誌に発表しま
す。一般に学名というのは初めにこの種を発見し、名
付けたものに優先権があり、本来であればロスチャイルドの方にあわせるべきだったのですが、ブラーとして
は自分こそがスティーブンイワサザイの発見者であるということを譲りたくなかったのでしょう。
しかしながら世間はやはりロスチャイルドの方の優先権を認め、ブラーの報告した学名は正式名称ではなく、異名として扱われます。そして
この問題に関して、
2人は決して和解することはなく、長年にわたってお互いを批判し続けることとなります。
さてそんな中スティーブンイワサザイの生態について、いくつかの点が明らかになってきました。まず彼らはスズメ目という、我々がよく知
るスズメが含まれる
グループの鳥であり、その大き
さもスズメ大の全長10cm程度の大変小さな体をしていまし
た。彼らは夜行性で、恐らく昆虫などを食べて生活していた
といわ
れており、
また一番の特徴としてスズメに
近い仲間でありながら飛ぶことが出来ませんでした。
実はスズメ目というのはこれまでに5000種余りが知られ、全鳥類の種の
なんと半分以上を占めているぐらい繁栄しているのですが、当時この中で空を飛べないものは一つも発
見されておらず、スティーブンイワサザイは例外中の例外
といってもよい存在でした。現在においてもスズメ目の中で飛べないものはこのスティーブンイワサザイとその近縁種を含めた3〜4種類だけし
か発見されておらず、彼らは非常に生物学的に貴重な例といえます。また彼らはオスよりメスのほうが体が大きかったといわれています。
一方ロスチャイルドに高額でスティーブンイワサザイの標本を売ったトラヴァースなのですが、さらに新たな標本を集めて一儲けしようと、3人の助手を従え
て、スティーブン島中を探しまわります。しかしながら必死の探索のかいなく、彼らは一羽も新たなスティーブンイワサザ
イを見つけることが出来ませんでした。そして同じ時期に灯台守のライオールはブラーに「最近この島でネコが野生化し、島の
鳥たちを殺しまわっている」という手紙を送っています。つまりこの
ことは、それまで鳥たちを襲うような動物がいなかったスティーブン島において、初めて現れたネコ達が彼らを狩りたい放題に狩り始めたことを示しています。
そして3月には新聞に“もはやス
ティーブンイワサザイは完全に絶滅してしまったと思われる”という社説が載り、実際にその後は誰一人として彼らを目にした
ものはなく、ついに彼らは完全に島から姿を消してしまいました。
トラバースはその後もスティーブンイワサザイを何とか見つけようと探し回ったようですが、やはり一匹も見つけることはできず、目にしたのは島で大繁殖した
ネコばかりでした。そしてトラバースは手元に残っていたアルコール漬けの標本を売りに出して、最後の利益を得たといわれています。彼が売った標本の値段は
お
よそ日本円にして60万円程度だといわれており、灯台守たちの年収より多かったということです。
という一連の出来事により、新
種の非常に珍しい鳥であるスティーブンイワサザイはネコが捕まえてきたところを発見され
、それと同時にそのネコによって絶滅させられてしまいました。最後のスティーブンイワサザイをネコが運
んできたのが1895年の秋であることから、一般に
この時かもしくはその後の冬の間に彼らは絶滅を迎えたと考えられています。
一方世紀の大発見をロスチャイルドに奪われる形になってしまったブラーは、1906年に失意の中で、亡くなってしまいます。しかしその次の年ロスチャイル
ドは
著書の中で、死んだブラーに対して更なる痛烈な批判を行っており、ここからもスティーブンイワサザイをめぐる二人の因縁の深さが感じられます。けれどもそ
の後、ロス
チャイルドの提唱し『スティーブンイワサザイは新規の属であるTraversia属
に属する』という考え方は改められ、ブラーの説であった既知のXenicus属
に分類するのが正しいということが学会で証明され、学名もブラーとロスチャイルドのものを半分ずつ組み合わせた「Xenicus
lyalli」となり、現在もこれが使われています。従ってこの二人
のスティーブンイワサザイをめぐる争いは痛み分けといったところでしょうか。
ところでスティーブンイワサザイの絶滅の直接の原因となったスティーブン島のネコたちなのですが、その後数百匹以上にまで大繁殖し、本格的に島の自然を脅か
すことが心配され、1925年までの間に全て駆除されてしま
いました。スティーブン島の自然を考えると仕方ないことなのですが、人間によって持ち込まれた
上に、勝手に殺される羽目になってしまったネコもまたこの出来事の被害者であるといえます。
さて現在ブラーやロスチャイルド、トラヴァースの持っていた標本なのですが、そのうち今もなお現存し、場所も明らかになっているのは15体で、アメリカやニュージ
ランドの博物館などに
収められています。不確かな記録によるとさらにもう数体が残っている可能性もあるのですが、ほとんどその見込みはないと思われます。
またその後の研究により、ずっ
と昔スティーブンイワサザイはスティーブン島だけでなくニュージーランド本
島にも幅広く分布していたことが、化石などから明らかにされました。しかしナンヨウネズミというネズミが
他の太平洋の島から流れ着き、繁殖し始めると彼らはス
ティーブンイワサザイ達を恐らく卵のうちに捕食し、完全にニュージーランド本島から絶滅させ
てしまいます。ナンヨウネズミがどうやって海を渡ってこの島に
渡ってきたのかはよく分かっていませんが、一説には西暦
1000年ごろにポリネシアからマオリ人たちがニュージーラ
ンドに移り住んで来た時に、それとともにやってきたのではないかといわれています。
そして本島で姿を消したスティーブンイワサザイですが、一部のものはそれ以前にスティーブン島に流れ着いており、その後はそこで細々と暮らしていました。
しかし残念
ながら更に数百年後、今度は西洋人によって持ち込まれたネコによって、この最後の生き残りも本島のものと同じ道を歩む結果となってしまいます。
スティーブンイワサザイがこれほどまでに外敵に弱かったの最大の理由は、やはり体の小さな鳥でありながら空を飛ぶことが
出来なかったことにあります。本来
ニュージーランドには彼らを襲って食べるような動物は存在せず、空を飛ばなくても自由気ままに生きてこられたのですが、ひとたびナンヨウネズミやネコと
いった強力な捕食者が入りこむと、成す術もなくあっという間に数を減らしてしまいます。特にスティーブン島のような小島の場合、そこでの生
態系は大変微妙
なもので、新たに一種類の動物が入ってくると、それが及ぼす影響が非常に大きなものとなる危険性があります。近年世界のあちこちで外来種がその地に固
有の
動植物に多大な影響を与えたり、生息数の大きな減少を引き起こしたりすることが問題になっていますが、正にこのスティーブンイワサザイの例
はその最も顕著
な例であるといえます。
[補足]
このスティーブンイワサザイのお話は、某「明日使えるムダ知識」を教えてくれる、フジテレビ系列の番組でも紹介されたりもしているので、ご存じだった方も
多いと思うの
ですが、この番組を含めてよくちまたで言われていることに、スティーブンイワサザイを獲ってきたのは全てライオールの飼っていた「ティブルス」という一匹
のネコによるも
のだという説があります。しかし実際には一匹だけの仕業ではなく、ライオール達とともにやってきた妊娠した母ネコとその子供たちによる仕業だというのが最
近の研究で明らかにされたようです。
執筆:2008年2月26日
|